術が使えるおかげで遅刻は免れ、二日間における学園祭は成功に終わった。その後に、
クラスでの打ち上げがあり、夜遅くまで居酒屋で担任とドンチャン騒ぎをしていた。そし
て、その後、待ち伏せていた嵐が月夜をさらって、本当に酒を飲みに行った。二人とも私
服だったから良かったのだが、担任に見つかりかけて月夜がまたうまく言いくるめたのは
言うまでもない。
 心なしか、その次の日からの二人の仲は良くなっていた。どんな話をしたのか聞いても
はぐらかされて、聞くのも飽きて放っておいていた頃、それは、姿を現した。
 学校から帰る途中の住宅街の十字路に差し掛かったとき、染めたらしい銀髪の長い髪を
一つに結わえている鋭い面差しをした男とすれ違った。
「久しぶりだね。蒼華」
 夕香側にすれ違った男はすれ違い様に微笑みながら夕香に囁きかけた。その囁きは隣に
月夜にも聞こえた。月夜は何か勘のようなものを感じてポケットに突っ込んでいた手で剣
印を結んだ。男は怪しげな微笑を浮かべながら数歩歩いて夕香たちを肩越しに振り返って
みた。
 それを感じてばっと振り返り、二人一緒に後ろに退いた。油断なく一人の男を見る二人
は完璧に一高校生ではなかった。
「何の用よ」
 どすの利いた声で夕香はたずね、男をにらんだ。月夜はにらまずにさりげなく隔離結界
を張っていた。
「いや、用ってほどでもないさ。なあ、白空」
 その言葉に月夜が息を呑んだ。結界が揺らぐ。夕香はなぜ呼びかけるように言ったのか
が、引っかかった。
「どういうことよ」
「まだわからないのか、天狐の姫よ。この男は俺に飲まれているのだよ」
「……?」
「能書きはいい。何のようだ」
 月夜の低い声が漏れた。結界は安定している。だが、異様な量の汗がこめかみを流れ顎
の先から滴り落ちる。
 それを見てか、夕香の兄、白空の形をした男は片方の口の端を吊り上げて愉悦に満ちた
光を瞳に宿して月夜を見た。
「へえ。恐怖心を抑えられるぐらいの精神力を持ち合わせているのか。面白いね。君。や
っぱり、殺さなくて良かったよ」
 ぎりと月夜が奥歯をかみ締めた音が静寂を切り裂いた。月夜は相手をにらみつけたまま
でいる。
「まあ、いいか。今は殺さないさ。……そうだね、用をさっさと済ましておこう。近々面
白い事が起きる。人と妖の争いが。君達も分かれるのかもしれないね」
 にたりと笑った男に、白空に二人の刃が胸と顔面に突き刺さった。出すべき赤黒い血は
出ずに一枚の紙がひらりと地面に落ちた。きんと高く澄んだ音を立てて刃も地面に落ちて
月夜も崩れ落ちた。
「月夜?」
「平気だ」
 とっさの事で支える事もできずに月夜を覗き込んでいると蒼い顔がそこにあった。肩を
使って苦しげに息をついている。
「どうしたの?」
「いや、たいした事じゃない」
 ぐっと拳を握って月夜は目をつぶっていた。その背をそっと撫でて夕香は月夜が落ち着
くのを待った。
 しばらく、その状態のままだった。月夜が深く溜め息をついて立ち上がったはいいもの
の、膝が笑って歩ける状態じゃなかった。さすがに苦笑を隠し切れない月夜に夕香は術を
使って家に戻りまだ動揺している月夜に水を渡した。
「そうか、そうだね」
「悪い。ここまで、動揺するとは思わなかった」
 カタカタと震えている手に目を向けて苦笑をして水を一口含んだ。その冷たい感触が体
全体に染み渡っていくかのような感触に深く溜め息をついてソファーの背もたれに深くも
たれかかった。
「大丈夫?」
「ああ。だいぶ落ち着いた」
 頷いて立ち上がって水が入ったコップを机の上において手を洗って顔を洗った。鏡に映
った自分の顔色に呆れつつタオルでその顔をぬぐう。
「ひでえ顔色だな」
「自分で言う言葉じゃないでしょ」
「そうだな」
 肩をすくめてまた夕香の隣に座ると片手で目を覆った。悄然とした空気が月夜から発せ
られる。首を傾げて、夕香は月夜が口を開くのを待った。
 コチコチと、秒針の音が静かな部屋に響き渡る。
「ざまあねえな」
 そして、秒針が、あと、四分の一ほどで一周するというところで、月夜が口を開いた。
自嘲気味な言葉に何も言えずにそっと夕香は肩を寄せるしかできなかった。月夜もその肩
の小さな温もりを感じて少しずつ落ち着きを取り戻していた。
 不思議な沈黙が二人を包む。秒針の音が二人を包む。
 そして、さらに秒針が二週反したところで月夜は深く溜め息をついて手を振り下げた。
「もう、平気だ」
 立ち上がって壁を思い切り殴った。いつもの顔に戻った月夜に夕香は溜め息をついて目
を閉じて月夜がいなくなった場所に体を横たえた。
「ちょっと寝るから」
「ああ」
 月夜は夕香の部屋からタオルケットを引っ張り出して夕香にかけてから自室に戻った。
 机にある本を手にとってぱらぱらと見ていた。なんとなく目がおかしく感じられた。本
の中に吸い込まれるような。
 目眩だと気づいたときには遅かった。体はバランスを崩して物の海にダイブしていた。
整理中でいろいろ積み上げていた本が背中に落ちてきたり、おいていた雑貨が落ちて高い
音を立てたりとしたのだが、それを感じるまでもなく月夜は意識を失っていた。




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